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東京高等裁判所 昭和49年(う)1255号 判決 1976年5月06日

控訴人 被告人

被告人 工藤和幸 外三名

弁護人 森岡秀雄 外三名

検察官 関野昭治

主文

原判決中、被告人福嶋に関する部分を破棄する。

同被告人を懲役八月に処する。

同被告人の原審における未決勾留日数中三〇日を右刑に算入する。

同被告人に対し、本裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予する。

被告人工藤、同神原、同高橋の各控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、被告人ら四名連名(ただし、被告人福嶋の関係では陳述しない)、被告人工藤の弁護人森岡秀雄、被告人福嶋の弁護人三浦節三、被告人神原の弁護人桜井修平、被告人高橋の弁護人廬原常一提出の各控訴趣意書に、これに対する答弁は検察官関野昭治提出の答弁書に各記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。

一、桜井弁護人の控訴趣意一(二)に、静岡県集団示威運動等に関する条例、特にその一〇条の違憲をいう点について

所論は、憲法のいかなる条文に違反するかを明示していないが、控訴趣意一(三)の記載及び所論の援用する原審における弁護人大橋昭夫の弁論要旨の記載をも綜合すると、憲法二一条一項に違反する旨主張するものと思料せられるので、所論をこの趣旨に解して検討するに、静岡県集団示威運動等に関する条例(以下単に本条例という)は、集団示威運動等について公安委員会の許可を要するものとしているが(三条)、他方、公安委員会は、公共の安全と秩序に対して直接危険が及ぶことが明らかであると認められるときのほかは、これを許可しなければならないものと定め(五条)、不許可の場合を厳格に制限していて、実質的に届出制と異なるところはないので、これが憲法二一条一項に違反するものでないことは、最高裁判所大法廷昭和二九年一一月二四日判決(刑集八巻一一号一八六六頁)、同昭和三五年七月二〇日判決(刑集一四巻九号一一九七頁)、同昭和四四年一二月二四日判決(刑集二三巻一二号一六二五頁)の各趣旨に鑑みて明らかであり、このような許可制による集団示威運動等の規制が是認されるゆえんは、集団示威運動等が多数人の身体的行動を伴うものであつて、多数人の集合体の力、つまり潜在する一種の物理的力によつて支持されていることを特徴とし、時には本来秩序正しく平穏に行なわれるべき表現の自由の行使の範囲を逸脱し、地域の平穏を乱し暴力に発展する危険を内包することに対し、地方公共団体が法と秩序の維持についてその住民に対し負担する責任を果たす見地から、不慮の事態に備え、適切な措置を講じうるようにするためであり(前記昭和三五年判決)、これに違反してなされた無許可の集団示威運動等は、地方公共団体のとるべき事前の対応措置の機会を奪い、公共の安全と秩序を妨げる危険を新たに招来させる点で、それ自体実質的にも違法な行為であるから(最高裁第二小法廷昭和五〇年一〇月二四日判決、刑集二九巻九号七七七頁参照)、罰則を設けてこれを処罰するだけでなく、必要の限度で所要の規制措置をとることができる旨定めることも違憲でないというべきである。

そして、本条例一〇条は、本条例の目的を達するに必要な限度内の合理的な規制措置を定めたものであると認められるから、何ら違憲のかどはなく、論旨は理由がない。

二、同弁護人の控訴趣意一(三)に、原判示第二の事実の警察官の職務行為が、本条例一〇条にも違反する違法なものであつた旨主張する点について

所論に鑑み、記録及び原審取調べの各証拠、なかんずく、原審証人増田美正の供述によれば、第二の事実の際の警察官の職務行為は、第一の兇器準備集合の行為が行なわれているのを検挙、制止するにあつたことが明らかであるから、もはや、単なる無許可集団示威運動等に対する警告、制止について定めた本条例一〇条所定の要件に適合するか否かを論ずる余地はないものというべく、かつ、本件検挙、制止の職務は、現に本件兇器準備集合の罪が成立し、これが更に継続するおそれのあることを目撃した警察官において、すべて適法になしうるところであつて、何ら違法のかどはない。(なお、所論の主張が、それ以前の警告、制止行為に違法があり、これが本件職務行為の適法性に影響を及ぼすとの趣旨を含むものとしても、この点でも違法性のないことは、次項で説明する。)

よつて、論旨は理由がない。

三、同弁護人の控訴趣意二(一)中に、原判示第一の兇器準備集合の所為は、本条例一〇条にも違反する警察官の違法な警告制止に対し、表現の自由等を守るためなした正当防衛である旨主張する点について

所論に鑑み、記録及び原審取調べの各証拠を検討し、これに当審における事実取調べの結果を併せ考慮しても、未だ原判決には所論のごとき誤りを見出すことはできない。

すなわち、まず、所論が、第一の犯行に至る以前に伊東警察署応援の神奈川県警察本部機動隊及び警視庁第六機動隊によりなされた警告、制止の措置は、各機動隊の現場指揮官独自の判断によりなされたもので、本条例一〇条が右措置の主体を警察本部長又は警察署長に限定していることに違反する旨主張する点については、関係各証拠、なかんずく、原審における証人増田美正、同戸田昭二、同正岡延、同横山武夫の各供述によれば、右神奈川県警及び警視庁の各警察官は、応援を要請した静岡県公安委員会の管理の下に(警察法六〇条三項)、アスパツクの警備本部長でもあつた静岡県警本部長の指揮下に入つていたものであるところ、当日(六月九日)は、警備本部に県警本部長が、伊東警察署に同署長がそれぞれ詰め、これらの者と各現地指揮官とは無線通信施設で結び、現地指揮官と警備本部との通信は、同時に伊東警察署長も受信できるようになつていて、現地指揮官からの情勢の報告並びに本条例一〇条の措置についての意見具申は右通信によつて警察本部長と伊東警察署長とが同時にこれを受信して判断し、その判断がくい違えば協議をするが、両者ともにその意見どおりで相当と認めたときには、単に「了解」という簡単な用語で通信をするが、これは現地指揮官に対しその具申どおりの措置をとることを伊東警察署長が具体的に指揮命令したことを意味するものであり、これを受けた現地指揮官は伊東警察署長名でこれらの措置をとるべきものと事前に打ち合わされていたこと、所論の神奈川県警及び警視庁の各機動隊による警告、制止の措置についても、このような方法でその都度伊東警察署長による具体的な指揮をえたうえで行なわれたものであつたことが明らかであるから、所論のごとき違法のかどはない。

次に、所論が、右各警告、規制の措置が、本条例一〇条に定める「公共の安全と秩序に対して直接危険が及ぶおそれのあることが明らか」という要件にも、「急を要する」という要件にも適合しない違法なものである旨主張する点については、まず、警告には所論の右要件を要しないことは同条の文言上からも明らかであるうえ、関係各証拠、なかんずく、原審における証人横山武夫の供述(公判期日及び公判準備における分)並びに司法警察員作成の「第四回アジア太平洋協議会閣僚会議初日(六月九日)の伊東市内における集団示威運動等に関する申請ならびに実施状況について」と題する書面(二通)によれば、当日被告人らの集団は、伊東駅に下車後、覆面をし、ヘルメツト、軍手を着用した姿でただちに同駅前において無許可デモ、しかもジグザグデモ、渦巻きデモを行ない、これに対する警察官の本条例一〇条に基づく警告をも無視して更に行進を開始したこと、被告人らの集団が同市湯川三丁目先通称石庄交差点より国道一三五号線を南下し、伊東市内市街地をへて川奈ホテルに向かうとすれば、当時、その方向において、(1) 安保粉砕学園斗争勝利学生斗争委員会主催の約三〇〇名のデモ、(2) 安保破棄沖縄返還アスパツク反対実行委員会主催の約一三五〇人のデモ、(3) 反安保実行委員会(県準備会)主催の約二五〇人のデモの各集団行進又は集会が、それぞれ所定の許可を受けたうえ現に実施中であつたことが明らかであつて、被告人らの集団がこれらのデモと接触することが予測されたので、右のごとき被告人ら集団が伊東駅下車後に示した気勢と動向とに鑑みれば、同系統の派集団と合流し、あるいは、系列を異にする集団と対抗するなどして、暴力事犯に及び、その結果、周辺の秩序を害し、一般住民の安全に対しても直接危険が及ぶおそれがあり、これらを防止するため急を要する状態にあつたものというべきであるから、当日伊東警察署長であつた右横山武夫がこれと同じ判断のもとに原判示の二回にわたる制止の措置をとつたことも相当であつて、何ら違法のかどはない。

以上のとおり、本件警告、制止の措置には何ら違法のかどはないから、これに対抗するためになしたものであつたとする第一の所為については正当防衛を論ずる余地はなく、論旨は理由がない。

四、同弁護人の控訴趣意二(二)中に、被告人神原の所持していた原判示丸棒は、刑法二〇八条の二にいう兇器には該当しない旨主張する点について

所論に鑑み検討するに、刑法二〇八条の二にいう兇器には、いわゆる用法上の兇器をも含まれると解する原判決の判断は相当であり(最高裁判所第一小法廷昭和四五年一二月三日判決、刑集二四巻一三号一七〇七頁参照)、記録及び原審取調べの各証拠、なかんずく、被告人神原に関する検察官作成の写真面割結果報告書により明らかな同被告人が第一の犯行の際所持していた丸棒は、それ自体本来の性質上人を殺傷するために作られたものとは認められないが、その長さは同被告人の身長に匹敵するくらいあり、用法によつては人の生命、身体又は財産を害するに足りる器物であり、かつ、二人以上の者が他人の生命、身体又は財産に害を加える目的をもつてこれを準備して集合するにおいては、社会通念上人をして危険感をいだかせるに足りるものであるから、同条にいう兇器に該当するものと解すべきであり、論旨は理由がない。

五、同弁護人の控訴趣意二(二)中に、被告人神原らは、警察官の規制により、自らの意思とは無関係に集合状態の外観を作出させられたものにすぎず、原判示第一の所為は、刑法二〇八条の二にいう集合に該当しない旨主張する点について

所論に鑑み、記録及び原審取調べの各証拠を検討すると、被告人神原らが原判示稲葉園ドライブイン附近に赴くに至つた経緯は、所論のごとく、当日警備にあたつていた警察官らの誘導規制によるものであり、同被告人らにとつては予定の川奈ホテルとは逆方向に誘導された結果となつて、その意に沿わぬものであつたことは認められるものの、三に前述した経緯を経た後警察官らが前記稲葉園ドライブイン附近において同被告人らの集団を解散させるべく、規制を解除したところ、同被告人ら同集団の大多数の者は、指揮者の指示に基づき、その附近に分散して角材、丸棒、竹竿、鉄パイプ、石塊などを拾つたうえ、これらを携えて再び同所に集合し、更に指揮者の指示により、みずから実力行使をする意思のある者は隊列の先頭に並び、補給用の石塊を携えた者やその他の者はこれに追随し、右拾い集めた兇器を用いて警察官らの制止を排除してでもアスパツク開会中の川奈ホテルヘ赴くべく行進を開始して原判示伊東ガス前に至り、同所附近路上に集合したものであること、同被告人は原判示丸棒を携えて右先頭集団に加わつていたことが明白であることに鑑みれば、右稲葉園ドライブイン附近に赴いた経緯のいかんにかかわらず、第一の所為は、同被告人らがみずからの意思で兇器を準備して集合したものといわざるをえず、原判決には何ら所論のごとき違法のかどはないから、論旨は理由がない。

六、三浦弁護人の控訴趣意第一点に、原判示各所為は政治的抵抗権の行使であり、可罰的違法性を欠く旨主張する点、及び桜井弁護人の控訴趣意一(一)中に、原判示第二の所為は可罰的違法性を欠く旨主張する点について

所論に鑑み検討するに、被告人福嶋、同神原らがアスパツクに反対の意見を抱き、かつ、その意見を表現することは自由であるが、当時の国会及び野党の状況などを含め所論の事情をすべて考慮しても、当日許可を受けて伊東市内で概ね平穏に集団示威運動等をし、アスパツク反対の意見を表現していた他の集団と異なり、同被告人らの集団に限つて本件各所為に及ぶほかなかつたとまで認めるに足りる証拠はない。また、原判示の各所為は、当時、警察官らは被告人らの集団の無許可デモを直ちに検挙することを避け、前記五のとおり、二回にわたり、警告、制止、次いで平穏に解散させるよう規制誘導したのち規制を解除するという、適法かつ穏便な措置をくり返したのにもかかわらず、被告人らは一回目に解除されるや反転してデモ行動に移り、二回目に解除後は角材等を拾い集め、あくまでも所期の目的どおり無許可デモを遂行しようとし、警察官らから三度び前同様の警告、制止、規制の措置をうけたときは実力でこれに立ちむかうことを意図し、兇器を準備して集合し、更に、右兇器準備集合の違法行為を制止、検挙しようとした警察官らの適法な職務の執行に対して反抗妨害する行動に出たものである。したがつて、被告人らが主観においてこれらの所為を弁護人の所論にいわゆる政治的抵抗権の行使と考えていたとしても、このような形での政治的抵抗権の行使を正当化するに足りる前提となる事実はとうてい認められないから、同被告人らの本件各所為を政治的抵抗権の行使として正当化するに由ないものであり、更に、第二の公務執行妨害の所為は、その法益侵害の程度に鑑みてもとうてい社会通念上容認される正当な行為の範囲に含まれるものではなく、したがつて、いずれも可罰的違法性を認めることができるので、論旨は理由がない。

七、被告人らの控訴趣意について

所論は多岐にわたるが、これを要するに、(一)原判決が本件の背景にあるアスパツクの本質的問題について判断を示さなかつたのは、本件闘争の本質をことさらに捨象して判決をしたものであつて不当であること、(二)原判決が表現の自由について示した判断が不当であること、(三)本件は、被告人らが警察権力が過激派狩りのために仕掛けたワナにかかつたもので、実質的には警察の犯行であり、被告人らの犯行でないこと、の三点に尽きるものである。

所論に鑑み検討するに、(一)の点については、本件各所為がいずれもそれ自体可罰的違法性を有するものであることは前記六のとおりであり、たとえアスパツクの本質的問題を被告人らの主観においてどう考えていたにせよ、客観的にはいわゆる政治的抵抗権の概念をかりても違法性なしとするに由ないものであることは、前記六に詳述したとおりであるから、原判決がこれと同様の見解に出で、所論にいわゆるアスパツクの本質的問題について判断を示さなかつたことを目して違法ということはできず、(二)の点については、原判決の判断はまことに相当であり、(三)の点については、記録及び原審取調べの各証拠を検討しても、所論のごとき事情をうかがうことはできず、むしろ、当時警察官らは、被告人らの集団を適法かつ平穏に解散に導いたのに、その規制措置の解除後に、更に、被告人らがあえて本件各所為に及んだものであることが明白である。

したがつて、論旨はいずれも理由がない。

八、森岡、三浦、廬原各弁護人の控訴趣意に、量刑不当をいう点について

所論に鑑み、記録及び原審取調べの各証拠を検討し、これらにより認められる諸般の情状、特に、被告人福嶋は、当時、本件学生集団を指揮し、第一の兇器を各自に準備させたうえ、隊列を整えさせ、第二の犯行にも及ぶべきことを指示するなど中心的役割を果たし、みずからも第一の犯行では角棒を所持したこと、被告人工藤は鉄パイプを、同高橋は角棒をそれぞれ所持してこれに加わつたこと、右被告人らは、第二の犯行においても、それぞれみずからその行為を分担したことなど、その犯情が芳しくないことに鑑みれば、被告人工藤、同高橋については、所論のごとき事情をすべて考慮しても原判決の刑が重きに過ぎて不当なものとは認められず(なお、森岡弁護人の控訴趣意中には、審理不尽をいう点もあるが、原審は、特に、被告人らにつき直接情状関係を尋問して取調べ、また、関連事件の被告人の裁判結果をも取調べて科刑の均衡をはかるなど、十分審理を尽くしていると認められる。)、また、被告人福嶋についても、原判決当時においては、同様に重きに過ぎて不当であつたとは認められない。

しかしながら、被告人福嶋について、当審における事実調の結果をも併せ考えると、同被告人は本件犯行後この種事犯をくり返すことなく今日にいたり、過激な行動から遠ざかり、現在妻帯し、正業について平穏な市民生活を営んでおり、近く妻も出産予定であり、この妻子との平和な家庭を維持するために夫として、父としての責任を果たす覚悟のあることが認められ、これに本件犯行の動機、心情の点に多少斟酌すべき事情がないではなかつたこと、警察官の機敏な制止によるものとはいえ幸い大事に至らずにすんだこと、相被告人らや関連事件被告人らとの科刑の均衡、その他所論の被告人に有利な又は同情すべき事情をすべて考慮に入れると、同被告人に対しても実刑に服せしめるより今回に限り刑の執行を猶予し、在宅のうえ社会人として平穏な市民生活を持続せしめるのが相当であり、この意味において、原判決の同被告人に対する実刑の量刑を維持することは、当審においては重きに失し、不当になつたものといわなければならない。

よつて、被告人福嶋を除くその余の被告人らの本件各控訴は理由がないので、刑訴法三九六条によりいずれもこれを棄却することとし、被告人福嶋の控訴は結局理由があるので、同法三九七条、三八一条により原判決中同被告人に関する部分を破棄し、同法四〇〇条但書により同被告人に対する本件被告事件について更に判決をする。

原判決の確定した被告人福嶋に関する事実に、原判決の適用した実体法令をすべて適用した処断刑期の範囲内で、同被告人を懲役八月に処し、刑法二一条により原審における未決勾留日数中三〇日を右刑に算入し、同法二五条一項により本裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予することとする。

なお、刑訴法一八一条一項但書により、被告人福嶋については当審及び原審の、その余の被告人らについては当審の、各訴訟費用は、これを負担させないこととする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 木梨節夫 裁判官 時國康夫 裁判官 奥村誠)

弁護人桜井修平の控訴趣意

一 (二) まず、警察官の本件職務行為が依拠する静岡県集団示威運動等に関する条例(以下県公安条例という)、特に同条例第一〇条は違憲であり、これにもとづく右警察官の職務行為は違法なものである。この点については、原審における大橋弁護人の弁論要旨が詳しいのでこれを援用する。

(三) また仮りに、右県公安条例ないしは同条例第一〇条が違憲でないにしても、本件における警察官の規制行為は右条例にさえ違反する違法なものである。

そもそも、憲法第二一条第一項が国民に保障する表現の自由ないしは集会・結社の自由は、民主国家における最も基本的な権利というべきものである。それ故、例えこれを制限せざるを得ない場合があるとしても、それは断じて安易に行なわれてはならないものであり、表現の自由の一形態たる集団示威運動を規制する県公安条例の運用にあたつては、極めて厳格に解することにより、はじめてその合憲性が認められるものといわなくてはならない。

この点よりすれば、伊東駅付近より濤泉郷、稲葉園ドライヴイン付近までに至る警察官の警告および規制行為(以下本件警告規制行為という)が、その主体の面からも、また「公共の安全と秩序に対し直接危険が及ぶことが明らかであり」、かつ「急を要する」ときという条件の面からも、いずれも違法ではないとした原判決は、その解釈を誤まり、県公安条例を誤まつて適用しているものである。

県公安条例第一〇条により、警告および制止行為を行ない得るとされているのは、警察本部長または警察署長のみである。つまり、同条は、国民の重要な権利行使を強権的に制限することになるので、その主体を責任ある地位の者に限定しているのであり、前述のように、そう解してはじめて同条の合憲性が認められるものである。しかるに、この点につき原判決は、本件において伊東警察署長がみずから本件規制行為を行なつたか、現場指揮官がみずからの判断で行なつたかは、にわかに速断できないとしながらも、事前に現場指揮官に警告制止の権限が包括的に委任されていたのではないかと思われるふしがあり、当日も密接に連絡がとられていたから、単に現場指揮官の独断で規制したものではないと認定している。しかし、かかる認定は前述した厳格解釈の観点からしてあまりにも粗雑である。包括委任はあくまで許されるべきでなく、個々具体的な警告規制が警察本部長または警察署長によつて行なわれなくてはならない。そして、原審における倉田弁護人の弁論要旨中に摘示されている各証拠よりすれば、かかる事実は認定しえず、むしろ逆に、現場指揮官独自の判断で警告規制がなされたものと認められ、従つて本件警告規制行為はその主体面からして違法なものである。

また、本件警告規制が「公共の安全と秩序に対し直接危険が及ぶことが明らかであり」かつ「急を要する」場合に行なわれたか否かにつき原判決は明確な認定をしていないが、ただ被告人神原らの「罪となるべき事実第一」摘示の行為を正当化できる程に明白重大な瑕疵があつたものとは認めがたいとしている。しかし原審における倉田弁護人がこの点に関して摘示する各証拠よりすれば、右のいわゆる「明白・現在の危険」は何ら認められないものであり、前述したように、本件警告規制行為がその主体においても瑕疵があり、しかも右要件さえ欠くとすれば、警察官の本件警告規制の瑕疵は極めて重大であり、かかる違法な行為は表現の自由に対する重大な挑戦といわなくてはならない。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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